WORK
仕事内容
あなたの今のお仕事(現場)を教えてください
経営者のビジョンや新たなアイデアなどを事業化するため、ステークホルダーや他の部署と協力して事業をスタートアップする際に必要な準備や調整を行っています。目の前の近い未来だけでなく、100年後の吉本興業の将来の姿の種となることのために動くことが多い部署なので、仕事は多岐に渡ります。
具体的には、『yySA(ユヌス・よしもとソーシャルアクション)』などが挙げられます。これはノーベル平和賞受賞者であるムハマド・ユヌス氏が提唱する「ユヌス・ソーシャルビジネス」の実践と普及に向けて、よしもとならではの「笑い」というエンターテインメントを用いて、アジアの人々にこの概念や手法を根付かせていくことを目的にした事業となります。設立イベントと記者会見を行なうことになり、そのイベントへ向けてムハマド・ユヌス氏とドバイにて事前打合せがあったため、事前準備の手配や会場の準備などをコーディネートする業務を行いました。



仕事における、あなたの役割を教えてください
100年後の将来を見据えて、アジアを含め世界中各地域にて吉本のさらなる発展に必要な戦略を考え出すことが部署の主な目標です。この目標を達成するためには、新たな人的ネットワークを構築する事が必要不可欠です。先方と吉本のかけ橋になり人的ネットワークを拡大する土台づくりは自分の役割のひとつと思っています。
yySAに関しての私の役割は、住みます芸人による地域社会問題を解決する事業と、ソーシャル・ビジネスに関心がある自治体、大学、NPO&NGOと連携強化、さらには日本でのユヌス・ソーシャル・ビジネスの成功例を作り、成功例を基にアジアでユヌス・よしもとソーシャルアクションの展開を計画することです。
その他、子どもたちの想像力を育むさまざまなワークショップを展開する「CANVAS」という事業において、デジタルえほんアワードに応募する海外のクリエイターと協賛・賛同する大使館の対応も担当したり、
また、私の母校であるAPU(立命館アジア太平洋大学)で講師を務めるダイノジ・大谷さんの講義のお手伝いなども担当しています(インタビュー参照)
仕事において求められる資質
「Challengeをする気持ち」です。 吉本は「なんでも挑戦していく会社」であり、そのチャレンジについて寛容な会社だと思います。この部署にいてこの仕事をしているから、それだけしかできないということはない。新しいことを作ろうと思うなら、アイデアを形にして向かっていけばいつかたどり着く。沖縄映画祭などの大きな取り組みは、まさに吉本興業という会社のそういう“チャレンジ精神”が結実した最たるものだったのではないかと思います。
仕事のココが面白い(やりがい)
私にとってやりがいとは、仕事を通して、様々な人に出会えるという点です。 入社して一年も経たないうちに、ノーベル平和賞を受賞者であるムハマド・ユヌス氏と話ができたときは興奮しました。ユヌス氏を始めとして、とにかく様々なジャンルの人に出会える。普通の会社で仕事をしていたらとても出会えないような、幅の広さです。そういう方々にお話をうかがうと、「こんな考え方をしているのか」と刺激を受けることが多いですね。
仕事をする上で心掛けていることを教えてください
ラテン語で “Labor omnia vincit”(努力は万難を制す)という名文があります。この言葉は私の出身高校、ロイヤルカレッジのモットーでもあり、努力し続ければあらゆる困難に直面しても乗り越えられるという意味です。 2013年に来日した当初、本当に大変な思いを経験しました。日本語が全く分からない為にスーパーでの買い物ひとつも満足にできなかった時期は、これまでの人生で直面した最大の困難だったと言えます。”Labor omnia vincit”の言葉通りに努力を続けたからそこ、その壁を乗り越えることができました。この言葉は私の座右の銘であり、仕事をする上でも意識しています。
EXPERIENCE
社歴・失敗談
吉本興業に入社した動機・きっかけを教えてください
16歳から5年間、スリランカの国営放送でニュースキャスターとして務めていました。スリランカのロイヤルカレッジを卒業後、別府にある立命館アジア太平洋大学(APU)に進みましたが、卒業後の進路を考えたとき、キャスターを務めた経験からテレビに関係あるエンターテインメント業界で仕事したいと思い、就職活動していました。ちょうどそんな時に、別府で家庭教師として英語を教えていたご家庭の方に「吉本興業も合うんじゃない?」と薦めてもらったのが吉本を知ったきっかけです。その一言がなかったら今の自分はないので転機となりましたね。 調べてみると、吉本興業は日本国内ではなく海外にも展開していることが魅力だったのと、世界中で通用するエンターテインメントを提供したいというビジョンを持っていました。それが自分の夢と合致したので入社を希望しました。ただ、そのときは吉本のコアともいえる笑いの部分についてはあまり知らず、ネットで「漫才」と検索して調べたことはここだけの話です(笑)。




吉本興業に入社して今までどんなお仕事(部署)をしてきましたか?
一年目は、スクール事業センターと社長室を兼務し、吉本が沖縄に設立した、沖縄ラフ&ピース専門学校の立ち上げの準備などを担当。二年目に経営戦略本部(旧社長室)所属となり、日尼文化交流番組「JIPHORIA」共同制作や。ユヌス・よしもとソーシャルアクション株式会社の立ち上げなどを担当。
吉本興業だから味わえた経験を教えてください
ニューヨークの国連本部で行われた国連DPI/NGO Conferenceのワークショップ部門で、よしもとのSDGsに関する具体的な活動事例を発表する役割を担えたとこは強く印象に残っています。
他にも、入社以来、本当に充実した、有意義で糧となる経験を積める環境で仕事をしていると感じます。アメリカで開催されるSXSW(音楽祭・映画祭・インタラクティブフェスティバルなどを組み合わせた大規模イベント)へ視察訪問するなど、ワールドワイドに貴重な経験をさせてもらっています。
吉本興業という会社は可能性に満ちています。
就職活動セミナーなどに参加すると、学生から様々な質問が来ますが、“守り”に入るような質問が多いなという印象です。もっとこの会社で実現できる様々なこと=“攻め”の質問を投げかけてほしい。まだ社歴が浅い僕に対しても、「ビレだからきっとちゃんとやってくれる」と信頼して任せてくれます。自分から世界を広げていきたい人には可能性がどんどん広がるはずです。
飛び上がるほど嬉しかったことは?
入社2年目で担当した、メトロTVというインドネシアのテレビ局と日尼文化交流共同制作「JIPHORIA」が両国にて放送されたとき。あるとき、大﨑会長に同行してインドネシアを訪れたとき、お会いしたのがあちらのテレビ会社の社長でした。その社長と行ったランチミーティングからすべての始まりでした。そこから調印式の手配などをへて、ミーティングを重ね、完成、今後も続いていくプロジェクトになります。種と言える段階での打合せからあらゆる経緯を経て完成まで、1つのプロジェクトに心血を注いで完成まで関わったので、それだけに思い入れも深く、完成のときは本当にうれしかったです。
「やってしまった!」失敗から学んだ思い出は?
基本的には「失敗したかな」思った事柄も、最後はポジティブな方向に展開できるよう心を切り替えます。なので、失敗エピソードはあまり浮かばないのですが、英語での発音と日本語での読み方が違うことで「発音よすぎるよ」とツッコまれることはよくありますね。 この間、フランス・カンヌの話になったとき、僕が英語読みで「キャンズ」と言っても上司に伝わらず、「それ、日本語ではカンヌだよ」と笑われました。その話はまだ続きがあって、その後、とある食事会の際に「この間、ビレ、どこに行ったんだっけ?」と振りが入ったのですが、僕は気づかず、この間教えてもらったように「カンヌです」と答えると、「そこはキャンズって言わなきゃ! 笑いの基本だよ」と笑い話になりました。それ以外でも失敗のようなことも笑いに変えつつ、教えてもらえるのはありがたい環境だなと思っています。
吉本興業で達成したいことは?
「エンターテインメントなら吉本興業」と、吉本の名を世界中に轟かす会社にしたいです。
世界に通じる日本の会社名はいくつかありますが、それと同じく「YOSHIMOTO」という言葉を聞いて、世界中の人が「あぁ、エンターテインメントの会社ね」と通じる言葉になればと思っています。
その一歩として、まずはアジアを包括するようなエンターテインメントを吉本から発信していきたい。僕が思うに、アジアを包括的に網羅したコンテンツが少ないんです。それぞれの国で発信されているような現状。だから、日本のエンターテイメントを通じて、アジアにとってプラスになることができたらいいなと思っています。アジア全体のことを包括的に伝えるニュースのプラットフォームを立ち上げも視野に入れつつ、日本とアジア各国が双方に刺激を受け合いながら、新しいビジネスを築いていきたいです。入社前からその思いを持っていましたが、入社して様々な経験を経た今、その思いはより強いものになりましたね。
MESSAGE
お世話になっているあの方から

ダイノジ・大谷さん インタビュー
【Q ビレさんとはどのくらい仕事をされていますか】
大谷:
2017年からの付き合いですね。
僕が大分出身でAPUに興味を持っていたら、会社から「APU出身の社員がいるから」と紹介されたのが、ビレ君でした。
【Q ビレさんの仕事ぶりはいかがですか】
大谷:
すごく聡明で、一緒にいてなんのストレスもないです!言葉の障害とかもとくになくて、むしろこちらに合わせてくれています。
いつも、海外では今どんなことが起きているかなどの話をしています。たまに、ファミレスでビレ君の恋バナを聞いたりもしますね。笑
実務的なところとしては、APUで授業を実施するまでのながれの整理や、カリキュラム、シラバス、映像の確認等を対応してくれています。僕自身、アジアというフィールドでエンタメを届けたいと思っているので、ゆくゆくはその夢を実現できるようにつないでもらっている。
【Q 失敗エピソードはありますか】
大谷:
失敗は特にないですけど・・・
初めてAPUに授業を実施するために行くときに、空港で集合して一緒に行くのかと思っていたら「旧友に会いたいのでAPUで待っています!」という連絡が来て、一人で現地まで行かないといけなくなり、寂しかった!到着しても、ビレ君はAPUで人気者なので、ずっといろんな知り合いとスリランカ語で話し込んでいて。僕は、何でもないモノを見たりして「別に寂しくないし、気にしていないよ」っていうフリをしていました!!笑
スリランカにいれば、スターのままでいれたのに、吉本興業に入ってくれて、そして僕みたいな野良犬芸人と出会ってくれてありがとうございます!と、本当に心から思っています。
いろんな挑戦を手助けしてくれているし、とても感謝していますね!今後ともいろんな新しいことをビレくんとやって行きたいですね!