WORK
仕事内容
あなたの今のお仕事(現場)を教えてください
“映像事業センター東京”という部署は、地上波並びにインターネット配信で、映像コンテンツを作りだすところです。
僕は様々な番組に関わるプロデューサーたちを統括的に見ているほか、自身でもプロデューサーとしてAmazonの『FREEZE』や『HITOSHI MATSUMOTO Presentsドキュメンタル』などの番組を担当しています。




仕事における、あなたの役割を教えてください
一言で言えば“仕事を前に前に推し進めていく役割”です。
基本的に、プロデューサーの仕事は“すべて”。企画会議から始まり、スタッフィングによる体制づくり、協力会社とのやり取りなど、収録日を決めてそこへ向かってあらゆることを前に進めていく。収録を終えたらそこで終わりではなく、今度は放送(または配信)に向けて編集作業なども進めていきます。
地上波のテレビ番組だけでなく、ネット配信の番組がこれだけ充実してきた現況を鑑みると、感じるのは“この先コンテンツホルダーが生き残っていく”ということ。つまり、最終的に生き残るのは僕たちだと。いかに面白く、良質なコンテンツを作り出すか、それが映像事業において今後、より広く求められると思っています。
仕事において求められる資質
プロデューサーはバランス感覚が求められる職務だと思います。様々な視点で物事を見ることができるか。例えば、スタッフ全員が「それ、面白いね」となったとしても、安全性などの問題からプロデューサーとして『NO』と言わなければいけないこともある。そういう意味でのバランス感覚は必要と言えるでしょう。
また、技術や制作の各方面のスタッフを気にしながら、自らのリーダーシップをもって制作を進めていく。泥臭いことを言えば、スタッフ同士の衝突にもしっかり向き合ってあげなければならない。「ディレクターの思うようにやってみると、が「ついていけない」とか、あちらを立てればこちらが立たず」な状況がよくあるんですよね。そういうバランス感覚も大事ですね。
仕事のココが面白い(やりがい)
高低差というか、とにかく幅が広い。その落差が面白い。
Amazonで配信した『今田・東野のカリギュラ』を作っていた同時期に、BSでおじいちゃんがドライブするという企画も手掛けてたんです。免許返納問題が取りざたされていたので、長年、運転をしてきたおじいちゃんが返納する前に最後にドライブするという内容で。芸人に火をつける(カリギュラシーズン2で行った『人間火の鳥コンテスト』)みたいな無茶苦茶なことをやる一方で、そんなほのぼのした番組もやるし、ものすごく注目されるメジャーな番組も作るけど、一方で見る人が見たらすごい、カルト的な人気を集めるような小さな番組も手掛ける。その幅の広さによっていろんな体験ができるのは面白いですね。
『今田・東野のカリギュラ』は、“禁じ手に敢えて挑戦する”をコンセプトにした番組でいろんな意味で攻めていました。地上波放送では実現しづらい、攻めた企画を実際にやるんですけど、「なんでこんなキャッチコピーをつけてしまったんだ」と後悔するぐらいにいろいろな調整が大変で……。いろんなところから怒られたり、衝突があったり、苦労を上げればキリがないくらい手がかかりましたが、それだけにあの番組が無事に配信された後、すごくほっとしたし、やりがいを感じました。
仕事をする上で心掛けていることを教えてください
笑福亭仁鶴師匠に言われた『真面目が最強』という一言。
これは仁鶴師匠のマネージャーを担当していたとき、楽屋で「何がいちばん強いか」という話になったとき、師匠がそれとなく「真面目が最強。なんせ真面目なんやから」」と仰ったんです。
今の映像制作の仕事だけでなく、マネジメントなどこれまで携わってきた部署も含め、どんな仕事をするときにも何気なく意識している言葉なんですが、もちろん、言葉通りに真面目に仕事なんて全然できていません(笑)。サボったりもするし、無茶苦茶なところはいっぱいあるんですけど、でも、仕事上で何か最後に迷ったときに、その言葉を思い出す。自分の仕事における行動の指針になっているような気がします。
EXPERIENCE
社歴・失敗談
吉本興業に入社した動機・きっかけを教えてください
大阪出身だったので、という会社にはなじみがあって。ただ、「お笑い番組が作りたい!」などの明確な意思をもって入ったわけではなく、正直に言えば、なんも考えずに「なんでもやります!」というスタンスで入社しました。
でも、ここだけの話、よしもとの二次試験とスノーボードに行く日がかぶってしまって無茶苦茶、悩みました。たまたま一緒に行く友だちの車が定員オーバーで乗り込めなくて、二次試験に行ったんです。あのとき、車に乗れていたら、よしもとに入っていなかったですね(笑)。ある種、運命的だったのかもしれません。



吉本興業に入社して今までどんなお仕事(部署)をしてきましたか?
大阪マネジメント、東京マネジメント、よしもと幕張イオンモール劇場、ヨシモト∞ホールを経て、2016年1月より映像事業センターに配属。
吉本興業だから味わえた経験を教えてください
ものすごい失敗をしてしまったとしても、それを後日、笑える文化がある。
怒られたときはそりゃすごく凹みますが、時間が経ったら、失敗がウケるからそれを笑い話にしてツラさを回収できるんです。そういう会社の文化はある気がします。
飛び上がるほど嬉しかったことは?
僕は、ナインティナインの岡村さんが“パッカーン”(2010年の休養時期)となってしまったときの担当マネージャーでした。休養に入る少し前から「この先どうなるんだろう」と先が見えない状態で、ただただ必死でした。
ただ、半年後ぐらいに岡村さんが復帰をされたときは、月並みですけど本当にうれしかったですね。当時、出川哲朗さんに会ったとき、違う事務所なのに握手をされて「本当にありがとう」とお礼を言われた。それは忘れられない思い出です。
思い出してもあの当時はものすごく大変でしたが、今、普通に岡村さんと「あの時はこんなおかしな行動していましたよね」と笑い合える。そんな状況に戻れたことが何よりうれしく思っています。
「やってしまった!」失敗から学んだ思い出は?
失敗がいろいろありすぎて麻痺してきてしまっているのが正直なところなんですが(笑)、でも、それによってトラブルに対する免疫力はアップしましたね。ちょっとやそっとのことではビビらない。あまりにもたくさんトラブルを抱えていると、普段やったらすごく心配になるトラブルでも気にならなくなるものなんです(笑)
今後、吉本興業で達成したいことは?
世界の吉本興業を目指したい。そんな思いを持っています。
アジアのマーケットを始め、世界を見てありありと感じるのは“この先、勝つのはコンテンツホルダーだ”ということ。つまり、最終的に生き残るのは僕たち。いかに面白く、良質なコンテンツを作り出すか、それが映像事業において今後、より広く求められると思っています。
漫画やアニメだけでなく、お笑いも日本が世界に誇る文化。日本ではよしもとと言えば、すごく名の通った会社です。それは先輩方が今まで大阪の興行会社からここまで大きくしてくださった。でも、世界にでたときにまだまだ誰もよしもとを知らない。先輩方が大きくした吉本興業を、僕らの世代は世界に広げていかなければいけない。そして、次に入ってくる世代の子たちは世界の壁をぶちやぶってくれるはずだと期待しています。
MESSAGE
お世話になっているあの方から

横澤夏子さん インタビュー
【Q 大谷さんとはどのくらい仕事をしていますか?】
横澤:
2年くらいですかね?ほんとに、大谷さんに推してもらったという感じですね!
大谷:
そんなことないですよ!
横澤:
大谷さんがマネージャーになってから、忙しくなったという感じですね!
主には、マネージャーとして担当してもらっていました。映像制作にうつってからも繋がりがあります。
【Q 大谷さんの仕事ぶりはいかがですか?】
横澤:
仕事ぶりは、サイコーで!
当時も、大阪の仕事終わりに「早めに帰れるからチケット変更しましょう!」となったのですが。その時、大谷さんに「横澤さんに僕のチケット変更の素早さ見せてあげますよ」と、言われて。(笑)
それはもう、すさまじかったです!(笑)
一番空いているところも熟知していて、機械の前についたら、JRの職員さんかと思うくらいの素早さで2名分のチケットを一気に変更してくれました!!
そのほかにも、無限大ホールの支配人も兼務されていたときに、無限大ホールのパンフレットを作ってくださったのですが、表紙が私の顔がドアップになっている写真で!ちゃんと「顔を売る」ということをしてくれていましたね(笑)
大谷:
無限大の芸人さんたちを紹介するパンフレットが1つあっても良いかなと思って、作ったんです!でも、たった半年でクビになったんですよ!(笑)マネジメントと劇場の支配人を兼務していたのですが、支配人は外れることになりました。
横澤:
それは、マネジメントの業務が忙しくなってきたからですよね!
外に向けたことだけではなくて、社内や身内へのフォローもしてくださっていました。先輩芸人さんともつなげてくださったり、次のマネージャーにもしっかり引き継いでくれて、
私が何が好きか?嫌いか?というのもすべて把握して、丁寧に引き継いでくれていたので、マネージャーが変わっても、そういう面でも困ることが無かったです!
【Q 失敗エピソードはありますか?】
横澤:
強いて言うならですけど!私が初めてどっきりを受けた時に、メールにしっかり「ドッキリ」と書いてあって!(笑)初めてだし、「こういうものなのかな?」と思いながら現場を終えてから、大谷さんに「これって、ドッキリだったんですか・・・?」と聞いたら
。
大谷「いや、何言ってるんですか?そんなわけないでしょ」
横澤「でも、メールに書いてありましたよ・・・?」
大谷「(確認して)すみません・・・!」
というやり取りがありました。(笑)
大谷:
メールを間違って転送してしまっていたんですよ。番組も丁寧にニセの台本まで作ってくれていたのに、僕がメールのタイトルに「ドッキリ」と残したまま送ってしまいました。
普段は、ちゃんとわからないようにしてます。ドッキリは徹底的に気を遣うようにしていて、どうしても知らせておかないと映像が使えなくなってしまうような可能性があるときだけは、「ドッキリ」とは言わずに「カメラが入るからそのつもりで」というようなことは伝えて、事故が起きないような配慮はします。
ただ、芸人さんが演技するのも大変だから、ドッキリはいつも徹底的に知らせないようにしているのに。
これに関しては・・・。
【Q 大谷さんに感謝の言葉をいただけますか?】
横澤:
吉本のレールを敷いてもらいましたね!吉本でどうすれば、生き残れるか?とか、礼儀も教えてくれたし。本当に大谷さんには感謝しています!いつもありがとうございます!!